
くということは二度とありませんでした。その次に演奏を頼まれれば、その人はまた別の曲を自分でつくっていって弾く、それが音楽家の仕事であったわけです。 ところが、今言ったように、それぞれの楽器が性格を主張するようになって、フルートだとかバイオリンだとか、チェロだとかチェンバロとかというのが、それぞれみんな違ったテクニックで個性を発揮するようになってきますと、その全部を弾くことができる人はそうはいないわけで、また、その上に、しかも作曲もできるということになると大変なことになってきます。そのため作曲家と演奏家というのが自然にだんだんと分離をしてくるようになるわけです。大体18世紀のころから、作曲家は作曲を專門にやる。それから、演奏家は、バイオリン弾きはバイオリンばっかり弾いている、ピアノ弾きはピアノばっかり弾いているというふうに分かれてくるということが起きてきたわけです。 それで、大体18世紀半ばごろになります。このころ、いわゆるフランス革命などを1つの契機にいたしまして、ヨーロッパの各地で革命が起きて、貴族社会が崩壊をするわけです。それによって、この貴族にかわって、いわゆる一般の中産階級の指導者たちが社会を引っ張って行くという時代がやってきます。大体18世紀の半ばごろですが、そのころになって初めて、お金さえ払えばだれでも聞くことが出来るという音楽会、いわゆる今の音楽会と同じような形のものが生まれてくることになるわけです。 それまでは、先ず教会の時代は、音楽家は教会から月給をもらって、神に対する祈りの音楽を作っていた。貴族の時代は、音楽家は貴族のお抱えで音楽はパーティーの余興であったにすぎなくて、聴く人は特定の個立した貴族であった。それがいわゆる開かれた外のホール、一般大衆を相手にしますから、大勢の人が一遍に入れなければいけないということで、割合と大きな会場を使用して、それぞれお金さえ払えば、どんな人でも入って聞くことができるという、不特定多数のお客さんに開放された音楽会、そういうものがちまたで行われるようになったのは音楽の歴史の上では非常に大きな変革であったということが言えると思います。 それはなぜかといいますと、つまり芸術の循環ということをさっき言いましたけれども、さっきの表で一番左の発信者というところから、仲介者を通して聴衆の方に行った1つのコミュニケーションが聴衆から逆に返ってきて、また演奏家を刺激するという形、そういうものは18世紀の半ばごろ、演奏会形式というものが生まれて初めて成立をしていくわけなんです。 それはどういうことかといいますと、時間がありませんので割合はしょって申し上げま
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